曲線 × PUMPQUAKES企画 「ブエン・ビビール Buen Vivir」

更新日:5月17日





今回の試み「ブエン・ビビール」は「良き暮らし」を意味し、南米先住民の考え方に由来する言葉だ。環境と調和し精神的な豊かさのなかで暮らすことを指し、2008年には南米エクアドルの憲法にも記された。資本主義的な「豊かさ」を相対化する理念として以後、ラテンアメリカを中心に世界中で使われるようになった。


曲線店主の菅原匠子さんは「生き延びることだけでは本当の意味での生存は実現できない」*と記す。

本当の意味での生存 — そのことを、このパンデミック禍でたくさんの人がいつにも増して問うているように思う。だから、私たちは、2021年現在、どんな「漠然とした不安」と「根拠のない希望」のなかにいるのか、さまざまな人に問いかけることからはじめた。それらを、この曲線の庭に、貼り巡らせてみる。そして店内には、メキシコで暮らしたメンバーが、現地で「ブエン・ビビール」を感じた事物を並べた。どれも、暮らしのなかでのさまざまな実践の形だ。


* 群像2021年6月号essay菅原匠子「茂りゆく場所」より抜粋



曲線の店舗をぐるりと取り囲む広い庭は、仙台八幡の街の中にぽっかり空いた穴のような空間だ。一年を通じて様々な植物や木々がその表情を変えてゆく。私たちは、ここに集うことが好きだ。この庭で読書会を開催したり、フリーライブラリーの設置をしたり、お茶を飲んだり、考え事をしたり、と、何気無く過ごす時間が増えていた。公園でもなく、道端でもなく、喫茶店でもない「書店の庭」という稀有な場所だからこそ、普段とは違う視点から話ができる。そして、仙台という街の中に自分の「居場所」があるような、そんな心強さすら感じている。

いま、日本の現代社会の中に生きながら、私たちはどのように生きているのか、そんな素朴だが根本的な問いを、コロナ禍での抑圧からあぶり出された感情も含んだ、各々が抱える生の感覚として考えてみようと思った。この社会における不穏な空気と、自分たちが感じ得ないほどに無意識化している抑圧は、普段私達が抱える「漠然とした不安」と、しかしなんだか頑張れるような気がするという「根拠のない希望」の間に挟まれてある、とまずは仮定して、パンプクエイクスのメンバーは様々な年代や背景を持つ友人達へ、そんな不安と希望についてのインタビューを行った。集まった12の回答は、秋の日の光が差し込む庭のあちこちに展示された。





実際、「漠然とした不安」に対する答えは、漠然としていないことが多かった。つまり、不安に思っていることの多くは明確な不安で、対処法がはっきり判明していることがほとんどだった。安心できる生活を作ることがイコール人生となっている、とか。一方で、一人の人間では抱えきれないほどの深刻な社会問題に苦しむ……そんな場合でも、理想とされる解決方法は弾き出されていて、しかしそれを実行するには、仕事や暮らし、人間関係、それらすべてを変えないといけないほどの難しさを突きつけられるから、なかなか行動できずにいるばかりで苦しくもなってしまう。しかし私たちが驚いたのは、回答をくれた近しい友人らが普段とは違う様子でこの問いに対して話し始め、心の奥ではこんな事を考えていた、とか、あんなことを不安に思っていた、というその人の知らなかった一面を語ってくれたことだった。具体的に解決できなくとも、こんなふうに語り合うだけでいいのかもしれないとすら思えるような。必要なのは個人における感情のチューニングなのかもしれない。とすれば、「根拠のない希望」という問いへの応答は、語られた不安の対極にある感覚ではなく、むしろ、もっと細やかな、普段通りの生活の中で、各々の内側に沸き起こってくる、生きている実感である場合が多かった。このふたつの問いの間にあるグラデーション。ここには自分たちが深く感じ直すべき人生の時間があるのかもしれない。




「ブエン・ビビール」の実践は、日々の生活を、自分達の思考と切り離さない場所で行うことの、生きる実感だ。壁にさす光や影、床や壁の傷、窓から差す光……そんな痕跡がトリガーとなって、日々、あらゆる、消え入りそうな感情を思い起こす時、「漠然とした不安」と「根拠のない希望」の間にある人生の余白の時間が意味を持ち始めるような気がする。








一方曲線の店内では、パンプクエイクスのメンバーの清水チナツ、長崎由幹がメキシコのオアハカから持ち帰った生活の中にある道具や、現地のアーティストによるブエン・ビビールを支える仕事を、清水のキャプションと共に展示した。それぞれの道具はすべて人の手から生み出されたもので、アルテサニアと呼ばれる工芸品ではあるが、ラベルの貼られたかしこまったものではなく、庶民が普段から長く使ってきたものばかりだ。






壁に掛けられた2枚のポスターは、メキシコ料理の基本となるトウモロコシの遺伝子組み換えに反対するもので、2019年に逝去したフランシスコ・トレド氏を中心につくられた。また、家父長制による資本主義に抵抗する女性によるコレクティブ「ARMARTE(アルマルテ)」による版画や、牛乳パックや空き缶など、生活の中から排出されるマテリアルをブリコラージュし、メキシコの日常を独特のユーモアで描くボノラ氏の作品も展示した。




オアハカの暮らしは資本主義の側からすれば、貧しく大変な暮らしと見られるかもしれないが、道具の一つひとつが庶民の生活の歴史を携え、自分たちが選ぶ幸福や価値観を体現している。そしてアーティスト達はその暮らしが、外からの声によって貶められることが無いように彼らを労い、讃えている。



 


展示最終日の11月23日には清水・長崎が「手をかけた衣食住 -全てが手から生まれこの土地に還る-」と題したトークイベントを、志賀の進行でおこなった。




まず「ブエン・ビビール」という言葉のコンセプトや背景を共有しながら、実際にオアハカで自分たちが「ブエン・ビビール」を感じた物事について紹介していった。

オアハカには多くの市場があり、衣食住に関わるあらゆる物が売られていて、それらがどこで生まれ、誰の手を通ってたどり着いたのか感覚的に理解できるようになっている。そしてそれらはまた人の手によって余すところなく使われ土地に還されていく。






ひとりのアーティスト(彼女は刺繍や版画、活版印刷などを組み合わせて表現をしている)が語った「ゆっくり時間をかけること。ゆっくりは、スペース(空間)を生む。」という言葉から、時間の遅さについての考察を展開した。


さらに、東北でこれまで私たちが感じた「ブエン・ビビール」について紹介し、最後に中野佳裕氏の「〈南型知〉としての地域主義ー コモンズ論と共通感覚論が出会う場所で ー」というテキストを参照しながら、今後自分たちがいかにして自分たちのブエン・ビビールを見出し、実践していきたいのかその場で言葉にしていった。





今回の試みは、展示やトークを通してあらためて自分たちの生を見つめ直し、外部的な物差しに左右されない自分自身の尺度で「ブエン・ビビール(良い暮らし)」を設定してみることのささやかな練習にもなったと思う。

それぞれの足もとから「ブエン・ビビール」を想像してみて欲しい。もしかすると「ブエン・ビビール」は、「本当の意味での生存」とも訳せるかもしれないから。



助成 :(公財)仙台市市民文化事業団