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【イベント開催】CAMP! -Midnight movies X'mas Special- in Sendai 2022

更新日:2023年7月6日



関西をベースにドラァグクイーン・シャンソン歌手として活躍するシモーヌ深雪と映画ライターのテラダマサヒロによる映画イベント「CAMP! -Midnight movies-」が仙台に帰ってきます。 ドラァグクイーンの重要な美的態度とされる"キャンプ"とは、はたしてどのようなものなのでしょう? スクリーンを囲んで皆さんと楽しみながら感じとるイベントです。

【CAST】

シモーヌ深雪 (ドラァグクイーン・シャンソン歌手)

テラダマサヒロ (映画ライター)

【会場】 仙台フォーラス 5階 (特設会場)

【日時】 12月24日 開場16:00 / 開演17:00

【料金】 1,000円 ご予約の方から優先にご案内いたします。

【予約・お問い合わせ】 pumpquakes@gmail.com TEL 050-5373-8514


古今東西のシネマトグラフを題材にしたSuper-Cinema-Talk-Show!! そのめくるめく映像の世界へご案内するのは関西で活動する映画ライターのテラダマサヒロ、シャンソン歌手でありドラァグクイーンでもあるシモーヌ深雪の異色コンビ。 全ての作品に共通するキーワードは、もちろん”CAMP” 関西で定期的に行われているこのギグの膨大な作品群の中から、選りすぐりの傑作選で綴る超豪華なラインナップの数々は、芸術的にして抱腹絶倒、非芸術的にして、阿鼻叫喚!! 文芸大作からレアカルト、モンドラッシュ、そしてシークレットフィルムまでを、テラダマサヒロ、シモーヌ深雪が一刀両断。マクロとミクロの両方の見地から、ユニークかつ華麗に皆さまをナビゲートします。



シモーヌさんがキャンプテイストとドラァグクィーンについて語るインタビュー記事が大阪の花形文化通信に掲載されています。 https://hanabun.press/2020/07/24/simone02/


主催:PUMPQUAKES 助成:(公財)仙台市市民文化事業団



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CAMP! -Midnight movies X'mas Special- in Sendai 2022 レポート



2022年12月24日(土)、仙台市のフォーラス5階特設会場にて、上映イベント「CAMP! vol.100 -midnight movies- X'mas Special in Sendai」を開催しました。イベント当日の様子をレポートします。




会場は、内装やマネキンがそのまま残されたファッションビルの空きテナント。

クリスマス仕様に飾り付けられ、スクリーンがセッティングされた特設会場に、関西を拠点にシャンソン歌手/ドラァグクイーンとして活躍するシモーヌ深雪さん(以下シモーヌ)がヒョウ柄のドレスと猫耳で登場。映画ライターのテラダマサヒロさん(以下テラダ)とともに「CAMP! vol.100 -midnight movies- X'mas Special in Sendai」がスタートした。


1964年に発表された、アメリカの批評家スーザン・ソンタグによる「キャンプについてのノート」で知られるようになった、形容しがたいある審美的な態度や感覚を指し示す「キャンプ」。そのキャンプとは一体どのようなものなのか、スクリーンを囲み、映像を通して感じ取ろうとするのが本上映イベントだ。

もともとキャンプは、マジョリティの周辺にある人々、特に男性同性愛者が持っている感性や感覚のひとつを言い表す言葉でもあり、テラダは「CAMP!」のイベントを始めた経緯について、2005年ごろからゲイであることを隠さずに生活する若者が増えていくにつれ、それは素晴らしいことでもある一方、以前は暗黙のうちに共有され、「あの人はこの感じわかってるよね」とある種符号のように機能していたキャンプという共通の感覚も無くなっていくのでは、と当時シモーヌ深雪と話していたと振り返る。たまたまシモーヌが膨大な映像のコレクターであり、しかも「できるだけ王道から外れた映像」を集めていたことや、90年代頃からインド映画やアジア映画をメインに観るようになったという映画ライターのテラダも当時収集していた70年代インドのレア・グルーヴ映像を見せるスペースが欲しいと思っていたことなどが重なって、古今東西の様々なキャンプな映像を紹介するイベントが始まった。大阪を中心に17年続いている「CAMP!」は、今回で通算100回を数え、仙台での開催は2015年以来2回目となった。


映画ライターのテラダマサヒロさん

シャンソン歌手/ドラァグクイーンのシモーヌ深雪さん


上映イベントは、おふたりに事前に選んでいただいた映像を、お品書きに沿って紹介し、コメントしていく形式で進行した。


〜前編〜

「クリスマス感があるのはどうかなと思って、、、」とまず紹介されたのは、1940年代のナチスドイツにおいて、ハリウッド映画を模したプロパガンダ的なエンタメ映画が作られていた時期のミュージカル作品。男女のダンスシーンの背景は、荘厳できらびやかなイメージだが、それらがまるでコピーアンドペーストされた壁紙のように平面的であるためかユーモラスにも見えてくる。全体の雰囲気として何処と無く漂う仄暗さや陰りは、当時の終戦間近のナチスの戦局が現れているようだ。

「ちょっと早いけど、次はお正月の気分も感じつつ」と、日伊合作で撮られたというオペラ映画の冒頭映像が続く。大げさなまでにわざわざ作り込まれた日本風のセットでオペラが上演されているチグハグな状況に、演じられているのが高度なプロの演奏とわかっていても、どこかおかしみを感じてしまう。



続いて、ゲイやクィアカルチャーをテーマにした作品が紹介され、おふたりの会話も熱を帯びる。ゲイのアイデンティティをもち、90年代に革新的なメイクで一世を風靡したメイクアップアーティストを記録したドキュメンタリー映画や、ゲイに限らず、クィアな人々やフェティッシュな人々を写したドキュメンタリー映画が紹介される。




さらに、ドラァグクイーンに関係する映像が続く。シモーヌが紹介したのは、2000年代になり、アメリカの人気リアリティショー『ル・ポールのドラァグレース*⑴』の影響もあって、ドラァグクイーンが一躍脚光を浴びるるなか、「DIAMONDS ARE FOREVER*⑵のクイーンの人たちはル・ポールのドラァグレースより、こっちの方が好きだと思う」と、ロサンゼルスに住む元ドラァグクイーンの友人から紹介されという、奇抜なメイクと衣装に身を包んだクイーンたちのショー番組。ホラー的でフェティッシュな、一見すると仮装のようにも見えるビジュアルに、「ドラァグであることと、ホラーのコスプレであることの線引きはある?」とテラダから話題が振られると、シモーヌからは、ドラァグクイーンがアメリカから日本に輸入された90年代当時の興味深い背景が語られる。「欧米でドラァグクイーンというと、日本でいうニューハーフ、ニューハーフではないトランスジェンダーの人、趣味で女装をしている人もみんな含まれるのだけど・・・」とシモーヌ。一方、日本のドラァグクイーンは、それが輸入された当時の文化を反映したかたちになっている、つまり80年代に起こったニューウェーブの影響を色濃く受けた90年代の「いちばんヘンテコな時期」のSFっぽさやビジュアル系の要素を含んだクイーンのあり方が、特にダイアモンズアーフォーエバーのクイーンたちにとって、「これこそがドラァグクイーン!」という型のようなものとしてあるのだそう。「私たちはジェンダーとかセクシュアリティとかは関係なくて、どちらかというと物体とかオブジェとかに近くて。何かヘンテコな方が面白い、その表現がユニークであれば」と話すシモーヌ。「『ル・ポールのドラァグレース』では最新の15シーズンで初めて、ヘテロセクシュアルのシス男性がクィーンとして登場していて珍しいなと思ったけれど、シモーヌさんのところではもっと昔から、ストレートだけどキャンプな男性がドラァグクイーンとして活躍してると考えると、ある意味こっちの方が進んでいるのかも」というテラダの見解も。


続いて、東欧や旧ソ連の映像は表現が面白いものが多いと話すテラダ。まずは大好き過ぎるあまりDVDを取り寄せたという東ドイツで撮られたグリム童話をベースに作られた子供向けの映像。

「子供向けなのにちっとも可愛くない」魚のクリーチャーや、セットの水面や岩が凍っていくシーンなど、CGがまだ無い時代の美術の作り込みも魅力的だ。



「Makhmud Esambayev 〜孔雀ダンス〜 (1976)」

また、ここ5年ほどでいろいろ面白いものが流出するようになったという旧ソ連時代の映像から、ソ連で最も有名と言われる舞踏家が孔雀のダンスを舞った作品が紹介される。いわゆるモダンバレエやコンテンポラリーダンスに分類されるであろう、孔雀の動きを模した不思議な振り付けを、『続・夕日のガンマンのテーマ』のアレンジにのせて一心不乱に踊る舞踏家。自分が見せられているのは一体何なのだろうと唖然としてしまう一方で、不思議な魅力に思わず頰が緩んでしまう。「わざわざこの曲のアレンジで踊らなくてもいい、とも言えるじゃないですか。でも、あえてこのアレンジを選んだ、あえてこんな振りを考えた、こんな衣装を考えた、で、このロケーションを選んだ。そういういろんな組み合わせの結果生まれてくる、何かヘンテコな、名状しがたいもの・・・でも惹かれて止まない何か・・・。」とシモーヌ。「それが・・・CAMP!」とゲストのふたりが口をそろえる。「本人はすごく真剣、いたって真面目なんですよね。作ってる人の意図を外れて、何かが過剰になってしまってる、そういうところが美しいな、と思います。」テラダからもキャンプを感じるヒントになりそうなコメントがあった。


80年代のインド映画からは、実は蛇の化身だったお嫁さんが覚醒して踊り出すシーン。因果関係や設定が不明のまま展開されていく物語と一心不乱な蛇ダンスに戸惑いながらも、卓越した動きや表情、やりすぎとも思える演出に心を掴まれる。

これは一体何?と一歩引きながらも、同時に、文脈やエビデンスは一旦置いておいて今目の前で起こっている動きそのものに身を委ねるような時間だ。





『CQCQ This is Post CAMP』

前半の最後は、2022年に松濤美術館で行われた「装いの力 –異性装の日本史-」展でシモーヌらが参加し、ドラァグクイーンについて扱った展示会場の記録映像に、DJ LaLaバージョンの曲がつけられた豪華スペシャル版。普段は掛け軸や茶碗が並んでいるという美術館の展示室に、SF的で未来感のあるコスチュームに身を包んだドラァグクイーンたちが陳列されている様子が映し出される。オブジェのように静的でありながら、同時に生命のざわめきを感じるような、奇妙な魅力に満ちた作品だ。





〜後編〜


休憩を挟んで後編が始まる。ある時期から深夜アニメを見続けているのだというシモーヌが、内容の他に特に注目しているのが、オープニングとエンディングのグラフィック表現だという。「いわゆる王道の主題歌もあるんだけれど、今日はそうではない、ちょっと変わったよくできているものを」と、3つのアニメのエンディングの映像が紹介される。アニメであることや二次元であることがメタ的に表現されたものが多い。


後編はピンク色のマラボーとブロンズのウィッグで登壇したシモーヌ深雪


イベントも終盤に差し掛かり、テラダによるここ10年ほどの間でのゲイ映画の流れが伺えるという3本のセレクション。まずは2011年の映画から。行きずり二人の男性の関係の変化を描いた作品は、一夜の関係のつもりで出会ったふたりが、延々と続けられる対話の中で自分や相手のことを深く理解していく週末の2日間の様子が描かれる。ゲイ映画の歴史を振り返ると、同性愛が差別対象だった80年代を経て、やっとゲイの出会いや恋愛の様子が撮られるようになった次のステップとして、出会ったふたりがその後どうお互いを交換し合いながら関係を築いていくのかという段階までをリアルに描いた点が世界中で話題となったという。


続いてその6年後に公開された作品では、ゲイであることの葛藤や内面、日常のリアリティを、2017年当時の移民、人種、セクシュアリティなどのテーマに触れながら重層的な視点から描がかれる。テラダは2005年公開の『ブロークバックマウンテン』も話題に出しながら、それがどちらかというとストレートの男性目線で描かれ、ストレート男性に向けて、「もしかしたらこんな経験がありえたのかも」と問うような作品であったのに対して、本作はゲイ側の目線から、自分自身がそのアイデンティティをどう受けれ、どう社会と関係を築いていくのかを描いた作品になっていると、ゲイ映画もそのテーマが年を経るごとに更新され続けている様を解説。


続いては2022年のドラマシリーズから。高校生のふたりの男子の恋模様やその日常が描かれる。80年代から90年代にかけてゲイの存在が可視化されるようになるにつれ、権利の向上のためにも戦略的にカミングアウトしていくことが積極的に奨励される時期もあったなかで、時にリスクを伴うカミングアウトは無理せず自分のペースでやったらいいということが作品中できちんと描かれているし、最近はそういうメンタリティになってきているんじゃないかな、とテラダ。「10代や20代の子も多く視聴している作品で、そういうメッセージがちゃんと入っているのは素晴らしいと思う」とコメント。

映像を見たシモーヌは、「ふたりのキスシーンでお花のイラストが飛ぶエフェクトがあったじゃない?でもあれは男性同士のキスっていうより、思春期で初めてするキスそのものに対してのドキドキもあるかも。自分のセクシュアリティを高校生の時点ですぐに決める必要もないんじゃない?」と応答。「それからカミングアウトも都市でするか田舎でするかでも大分違いますよね」と続ける。


人間は必ずしもわかりやすく分類されて存在しているものでもなければ、分けきれない自己の存在を正しく示そうとする必要もないのかもしれない。マジョリティの周縁に様々な存在のし方があり、だからこそ、時に過剰なほどけばけばしく飾り立て、誇張しながら、時に思いがけず自分自身をユーモアにさえ昇華させるような表現が生まれる。存在のし方を言葉で簡単に区切ってしまうことを慎重に避けつつ、隠語のように曖昧模糊としたものとしてキャンプは機能し、共有されてきたのではないだろうか。



「キャンプというところにもう一度戻って、最後は笑って終わりましょう」と紹介された最後の映像はミュージカル映画か。冒頭のパーティ会場からいつの間にシーンは切り替わり、突然フルーツの王国で巨大なバナナを使ったフォーメーションダンスが繰り広げられる愉快な映像を観終わり、3時間近くに及ぶ「CAMP!」が終了した。


全ての上映が終わり、会場から拍手が起こる

全てのプログラムが終了し、全体を通して印象に残っているのは、映像を紹介するおふたりのコメントがクリティカルであると同時に、その眼差しが時に偶然生まれてきてしまった表現たちを慈しむようでもあったことだ。「キャンプ」は、ある種王道から外れてしまったり、過剰さゆえにヘンテコな状態になってしまったものたちを面白がったり、愛でたりするような、そうした受け取り手の態度と共に育ってきた感性なのだと思う。表現と、その受け取り手との間の交渉の中で耕されていく文化とその蓄積の豊かさに触れ、唖然とし、笑い、キャンプな経験を同じ空間で共有した、刺激的なイベントとなった。



テキスト:菊池聡太朗

写真:志賀理江子


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*⑴ ル・ポールのドラァグレース :ル・ポールがホストとなり「アメリカズ・ネクスト・ドラァグ・スーパースター」の称号と賞金をかけてドラァグクイーンたちが競い合うショーレース番組。メリカズ・ネクスト・ドラァ

*⑵ DIAMONDS ARE FOREVER :シモーヌ深雪とDJ Lalaによってオーガナイズされ、京都CLUB METROを中心に30年以上続くドラァグクィーンのパーティ。

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助成:公益財団法人 仙台市市民文化事業団「2022年度 持続可能な未来へ向けた文化芸術の環境形成助成」


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